地球に暮らす日々

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中国福建省 客家土楼を訪れ、平安と戦乱の歴史を感じる旅 

      2021/08/28

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旅に出たのは、1990年代の終わりだったでしょうか。

当時、広東省シンセン市に住んでいた私は、福建省の山奥に、客家(ハッカ)と呼ばれる人々が、一族単位、数百人で暮らす、円盤のような建物があると聞き、友人たちと、興味津々で出かけました。

その建物は、土楼と呼ばれているのだそうです。

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いざ、シンセンからバスに乗って、福建省永定へ

福建省内に数多くある土楼群の中で、永定土楼群を旅先として選びました。当時すでに、観光地として、公開されていたからです。

まずは、羅湖バスターミナルから、龍岩市の中心へ高速バスで行き、それからローカルバスで永定県へ向かいました。(客家土楼は、2008年に登録され、現在、電車や飛行機の便があり、ツアーも数多く出ています。)

とにかく、山道で、バスに乗っていて疲れました。永定県へ着いたものの、山と中国の農村にありがちな形の住居が見えるのみで、「田舎に着たのね。」という感想しか持てませんでした。

しかし、あたりをうろつく、一見ただのバイク好きに見えるお兄ちゃんたちは、実は、土楼目当てで来る観光客を待っていた、バイクタクシーの運転手たちでした。土楼は集落ごとに離れており、各集落ごと、徒歩では行ける距離には、なかったのです。

お兄ちゃんたちと、一日貸し切りを交渉し、バイクの後部座席に乗って、田舎道を走る、ややワイルドな旅が始まりました。

円楼(円形の土楼)として、最も有名な、振成楼(しんせいろう)と承啓楼(しょうけいろう)などを見学しました。他にもいろいろ見学したはずなのですが、建物の名前を覚えていません。きっとあまり見すぎて、ごちゃごちゃになっていまったのでしょう。

バイクに載せられて走り、しばらくすると、円楼が見え、「さあ、着きました」と降ろされました。

承啓楼を見学する

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承啓楼(しょうけいろう)です。「江」という一族が住んでいます。

すみません、当時の自分が写した写真に、建物全体が写っているのがなかったので、画像素材集からいただいたものを貼りました。

私が行ったときは、まだ観光地化があまり進んでおらず、もちろん、お祭りも開催されておらず、きわめて地味~な印象でした。

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こちらが、当時、承啓楼の門の前で、写した写真です。オレンジのジャケットを着ているのが私。周りにいるのは、承啓楼の住人たちです。

観光客は、私たちのほかに誰もいなくて、住人が普通に暮らす中、私たちが、お邪魔させてもらっている感じでした。

写真の前方に、土やら石やら積まれています。今になって思えば、より観光地らしくするために、土楼の周囲をきれいに塗り固める工事をしていたんでしょう。

ところで、土楼に住んでいる人たちは、もともと中国の北のほう、中原と呼ばれる地域に住んでいました。しかし、約1700年前、西晋の内乱をきっかけに、動乱を避けて、次第に南下していきました。歴史上、5回の大移動をしたとのことです。

そして、たどり着いた土地の人に、外来の人、「客家」と呼ばれるようになったそうです。客家の人々は、野獣、害虫、盗賊、倭寇の襲来から、身を守るために、要塞のように強固な住居を建てて、住むようになりました。

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円楼の中で撮った写真です。見慣れぬ農機具が面白くて、登って遊びました。あの頃は、若かったな(遠い目)。建物の様子からすると、円楼2層目のようです。

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豚も、飼われていました。建物の外だったかもしれませんが、外部を断絶する土楼の機能から考えると、やはり土楼の中で飼われていたのでしょう。

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階段を登り、円楼の内部の様子を眺めました。木が多く使われており、とにかく古いという印象を受けました。後で、調べたら、1662年から1722年の間に建てられたのだとか。部屋が全部で400室あまりあり、最盛期では、600名の住人が住んでいたそうです。

「泊まっていきますか。」と案内をする住人に、誘われましたが、ちょっと衛生面で勇気がなかったので、ご遠慮させていただきました。現在、観光客用に、きれいに整備されている模様です。

承啓楼の構成と機能

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こちらの写真も、インターネットの画像素材集からいただいたもの。円楼が4層に分かれているのが、よく見えます。

一層目:4階建て。1階が台所と食堂、2階が倉庫、3階と4階が住人の寝室。なお、安全のため、1階と2階には窓がありません。
二層目:2階建て。主として客室。
三層目:学校。
中心部:祖先を祭る祭壇。

承啓楼内には、そのほかに、井戸、浴室、冠婚葬祭を行う公共スペース、製粉所があります。

一般に円楼は東南風を通し、西北風を遮断するため、夏は涼しく、冬は暖かいと言われています。

耐震・耐火・耐水に優れ、非常に頑丈にできています。円楼の中には、過去に、国民党から3日間砲撃を受けても、傷一つ残すことなかったもの、記録に残るかぎり、これまでの7度起きた地震にも、ひび割れが入ったものの、後日、自然に治ってしまったものがあるそうです。

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動画ご紹介

中国語ですが、永定県や承啓楼の様子がよくわかります。土楼には、円楼の他にもさまざまな形があります。最後に生まれたのが、円楼で、土楼の中でも最も完成度が高いそうです。

これから行く方へ

以前の旅の様子を思い出すために、YouTubeで、何本か動画を見ましたが、観光地化が進んでいて、承啓楼の前に、お土産屋さんや、バスターミナルができていており、その変わりようにびっくりしました。

それより、驚いたのは、観光客が大勢の上に、ガイドがメガホンで解説をまくしたてて、うるさいこと。しかも、数人のガイドが、同時にまくしたてているので、もう苦痛なくらいうるさい。

そこに住んでいる人たちが気の毒に感じるくらい。

こんな中、旅情は全く感じないので、間違っても中国人が大型連休を取る時期には行かないようにしましょう。






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