通訳にとって、最も必要な適性は、「人の心が読めない」ことである
2016/08/29
↑こんな風に、人のあいだに立って、商談をカッコよく、まとめてみたかったです。
その昔、中国語を本格的に勉強し始めた私は、通訳に憧れましたが、すぐに挫折しました。
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今日の「まぐまぐニュース」の記事一覧を眺めていたら、
日本人を洗脳?中国語教師を使った恐るべき対日工作という、中国語学習者なら、誰でもドッキリするようなタイトルを見て、思わず記事を開きました。
私なりに理解した記事の要約は、
よい通訳者は、人の心が読めない。人の心を読み、自分の意見や感情を混ぜる通訳者は、通訳を装って、相手を洗脳している。同様に、日本国内の中国語教師も、対日工作として、日本国内の重要人物を洗脳している。
というものです。
とりあえず、私を含めて、庶民の中国語学習者には、洗脳なんて関係ない話ね、と安心しました。しかし、あらためて、通訳の適性について考えてしまいました。
以下、記事から抜粋です。
通訳でいろいろな業界の人の商談に携わっている友人が、たまに、自分でビジネス企画をアレンジしようとするのだが、そのほぼ全てがスタート段階で失敗している。幾度かの失敗を見ていて「なるほど、通訳として適性がある人だから失敗するんだな」ということに気づいた。
なぜ、通訳さんはビジネスにはヘタなのか。それは、言葉のみを通訳する専門職であって、その言葉を放った人の心を読んではいけない役割だから。
という、記事の内容に、強く同意します。
職業として通訳するには、まだまだの実力とはいえ、企業内で、日本人上司と中国人の同僚の通訳を何度かしたことがある私には、耳の痛い話です。
私には、なかなか、「言葉のみを通訳する」ということができなったから。
それどころか、日本人上司に対して、「言葉どおりに訳すと、王さんは○○と言っていますが、ニュアンス的には反対の意味ですよ。」と言ってみたり、
中国人同僚に対しては、「あー、そんな言い方しても、上司○○さん、わかってくれないよ。日本人の話の展開の仕方をもっと勉強しなくちゃあ。」などと、余計なことを言ってしまう始末。
通訳していると、なにか二人の仲をまとめなければという気持ちになり、つい「言葉のみを通訳する」ということを忘れてしまうのです。
ずっと話していると、アゴも痛くなってくるし、二人の会話が円滑に進み、早く決着がつくように、つい、小さなウソを混ぜて通訳したりして。
ああ、だめだ、だめだ、私は通訳、向かない と、プロの通訳者になる夢を、早々にあきらめたのでした。
さて、以下、さらに記事から抜粋です。
さて、通訳が人間の心を見抜けないのは、まずいことなのだろうか。それは「否」である。通訳は、言葉のみを訳して伝える専門職であって、心の中や言葉の裏までは訳してはいけないし、自分の意見や感情なんかを入れるようでは失格だ。つまり、人の心を読めないのは、良い通訳ともいえる。
ということです。
ふうん、そうか、そうだったのか
優秀な通訳者たちは、もしかしたら、天性で、「人の言葉の裏が読めない」のかもしれませんね。だったら、「言葉のみを通訳しなきゃ」って余計なこと考えなくてすむから、疲れなくていいですもん。
市のボランティア通訳の講習会に参加する機会があり、東京から一流の通訳の方が、講師として招かれていました。
講師になんでも質問していい、という時間があったので、「一方が上司で、一方が部下という関係で、部下の言葉が足りなくて、上司に伝わらないとき、フォローしますか。」と聞いたのですが、講師の方は、私の質問とはまったく関係のない、解答をされていました。
その講師の方も「人間の心を見抜けない」という、通訳の適性があるとすれば、「部下の言葉が足りなくて」という意味が、全く理解できなかったのでしょうね。
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