地球に暮らす日々

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広東省で見た社会の闇 香港中国返還直前 深セン駅前の物乞い

      2017/03/15

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中国北京で初めて物乞いを見る

日本で、ホームレスは見たことがあっても、物乞いは見たことがありません。

物乞いを初めて見たのは、中国北京でした。路地の片隅に、ボロボロの着物を着たおばあさんが、私に手を差し出して、何度も頭を下げていました。

そのとき、軽く、ショックを受けました。社会主義の国は、福祉が行き届いていて、物乞いなどしなくても、国が面倒を見てくれると思っていたから。

まあ、世間知らずだったのですね。

当時、北京に留学しており、中国語のスピーキングの試験で、「中国に来て驚いたことを言う。」という問題だったので、素直に「貧富の差が大きくて驚きました。物乞いを初めて見ました。」と話すと、先生はひどく怒ってしまいました。きっと、祖国を侮辱されたと思ったのでしょう。

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広東省深セン市に移り住む

留学後、一度日本へ帰りましたが、再留学と就職のために、中国広東省深セン市に住むことになりました。1996年、香港が中国へ返還される直前で、深センもまた経済特区として、非常に注目を浴びていた時期です。

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中国は、広い国で、北と南では、気候も風土も違えば、生活習慣も異なります。極端な話、それぞれが別の国のように思えました。経済特区の深センは、近代的なビルが立ち並び、人々の服装もあか抜けて見えましたが、どこか無理に作ったような、歴史も文化もない、薄っぺらい土地に、感じました。

深セン駅前での衝撃

一番驚いたのが、物乞いの様子です。深セン駅前の陸橋の上に、一定間隔で、一人ずつ座っていました。総勢5名ほど。そして、彼らの中に、いわゆる「五体満足」な者は一人もいなかったのです。彼らの姿から、生まれつき以上に、これまでの凄惨な育ち方がうかがえました。

先天性の異常のためか、四肢の長さが極端に違っていました。そのうえ、背骨がぐにゃりと曲がっています。短いほうの手に、紐で空き缶が括りつけられていました。四つん這いになって歩くときに、短いほうの腕の長さを補うためです。彼らにとっての、義足のようなものでしょう。短いほうの足は、地面につけることなく、そのままプラプラと垂れ下げていました。髪は伸び放題、上半身は裸で、みな垢にまみれて痩せこけていました。


Photo credit: Augapfel via VisualHunt.com / CC BYz

それはまるで、地獄絵図に出てくる、餓鬼の姿のようでした。

きっと先進国に生まれていたら、たとえ、先天的に四肢の長さに異常があっても、適切な治療を受け、栄養を与えられ、ここまでひどい姿にはならなかったろうに…。

しかし、その物乞いたちの尋常ではない姿に、同情よりも、嫌悪感が優ってしまいました。

彼らと視線があって、反射的に目を背けました。近づかれて、後ずさりしました。すると「金をくれ」と、四つん這いになって、追いかけてくるのです。か細い手に括りつけらえた空き缶が、カランカランと音をたてていました。

私は、おぞましさに震え、本気で走って逃げました。

体が不自由な彼らが、一人で陸橋まで、登ってこれるはずがありません。誰かが毎朝、彼らをここに連れてきて、物乞いをさせ、夜になると、どこかへ連れて帰るのでしょう。いわゆる貧困ビジネスです。こうした物乞い団を組織するのは、黒社会(ヤクザ)と聞きました。

経済特区の闇の部分を、一気に見せつけられたような場面でした。

消えた物乞い

もしも、再び一度、北京の大学で、同じ内容の試験があったら、先生が怒るとわかっていても、「動物以下に扱われ、ひどい暮らしをしている人々を、中国で初めて見ました。」と答えたでしょう。

かといって、そんな彼らに、何もしてやれないし、近くにいるだけで、不快になる私ですが。

深セン駅前を通るのは、苦痛で仕方ありませんでしたが、香港が中国へ返還された後、政府からの介入があったのか、陸橋の上から、忽然と物乞いの姿が消えました。

ほっとするとともに、あの物乞いたちは、今頃どうしているんだろう、少しはましな生活をしているのだろうか、と考えたのでした。






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 - カテゴリー: 広東圏