広東省で見た社会の闇 ゴミ置き場で暮らす人々
2016/08/29
日本の場合、環境保護の目的で、燃えるゴミ、燃えないゴミ、びん、空き缶、古新聞・古雑誌など、さまざまに分別して捨てますが、中国の場合、それはなし。
回収業に携わる人が、分別し、持っていってくれるので。実際、段ボールや、びん、空き缶などは、リサイクル資材として、いいお金になるようです。
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西暦2008年ごろのお話です。
広東省東莞市で働いていたころ、上司や同僚の日本人たちは、皆同じアパートに住んでいました。ゴミは、曜日、時間に関係なく、好きなときに、政府が指定したゴミ置き場に、置けばそれでよし。ゴミ置き場は、アパートから、数メートル離れた場所にありました。
そうすると、回収業者が処理をして、1時間で、ちぎれた紙きれなどの痕跡を残し、ゴミはなくなります。
回収業者と言っても、会社に雇われているわけではなく、個人でゴミを拾って、どこかに売って、生計を立てている人です。
日本人が出すゴミは、お金になるものが多いと期待されていたようです。ゴミ置き場の周りには、常に数人の回収業者がゴミを待っていました。強い日差しを避けるために、木の下に座り込んでいました。
ゴミ置き場の近くは、ツンとした生ごみの腐敗臭が漂います。
ゴミを漁って、生きていくって、どんな気持ちだろう。
と、私は悲壮な気分でいましたが、彼ら彼女らは、結構あっけらかんとした表情で、幸せそうにさえ、見えました。少し服装が薄汚れているものの、ごく普通の人々にも見えました。同僚の日本人には、ゴミ置き場に置かず、親切のつもりで、彼らに直接手渡しする人もいたり。
可哀想と思うあたり、私は、思いあがっているのだろうか、と。
ただ一人だけ、どう頑張っても、幸せそうに見えない女の人がいました。日焼けで荒れた顔からは、年齢がよく判別できませんでしたが、まだ若く、もしかしたら、未成年だったかもしれません。彼女は、ほかの回収業者より、ひときわ汚い服を着て、貧弱な体格で、虚ろな表情を浮かべ、たいてい、ゴミ置き場近くの木の陰に、うずくまっていました。
私がゴミを捨てると、彼女がのろのろと立ち上がって、ゴミを拾いに来る、そんな場面が嫌でたまりませんでした。
何か食べ物をあげたほうがいいのだろうか、着るものをあげたほうがいいのだろうか。と考えつつも、彼女と関わり合いになるのが怖くて、結局、口を利くことはありませんでした。
ときおり、古くなった服をもう一度洗濯し、畳んで、紙袋に詰め、彼女が木の下にいるのを見計らって、ゴミ置き場に置いていくのが、せいいっぱいでした。彼女が私のお古を着ているのを、見ることはありませんでしたが。
中国では、経済格差が広がっているとはいえ、こんな暮らしを強いられている人がいるとは、あんまりです。
世界は不平等だとわかっていても、目の当たりにすると辛くなる、広東省での光景でした。
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