地球に暮らす日々

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1990年代、内モンゴルの旅 ホロンバイル草原と病院

      2016/08/29

北京に留学していたころ、親しくなったモンゴル族の青年の里帰りについて、友人たちといっしょに中国内蒙古自治区ホロンバイル草原を旅しました。

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中国に留学する前、内モンゴルとか内蒙古という意味がよくわかりませんでした。

内モンゴルという言葉の意味

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モンゴル族の青年によれば、本来のモンゴルの領土は3つに分断されており、一つがモンゴル国、一つが中国領、一つがロシア領になっているということでした。うち、中国領のモンゴルを、内モンゴル、いわゆる内蒙古自治区というのだそうです。

モンゴルは、乾燥地帯

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昔から憧れていた、360度に広がる草原を歩きまわり、パオ(モンゴル式テント)の中で、ほふりたての羊料理を堪能しました。

牛の糞を乾燥させたものを燃料にして、煮立てたミルクティーもおいしかったです。

草原の中に、ポツンと遊牧民のパオがあり、草原と草原の間に、小さな町がポツンとある、内蒙古はそんな印象でした。

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それはそれは、きれいでロマンに溢れていましたが、何日もバスに揺られるし、まともなトイレはないし、お風呂には入れないし、日本語はもちろん、だんだん中国語も通じなくなっていく環境で、疲れ切っていきました。

深刻な砂漠化が問題となっている中国西北部ですが、内蒙古では水が大変貴重で、特に小さな町では、上水道が通っていませんでした。

小さな町では、各家庭に風呂がないのはもちろん、風呂屋さえなく、月に一度バスに乗って、草原を越え、少し大きな町の風呂屋に行く、ということでした。

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知り合いのモンゴル族の青年の町は、少し大きな町の部類に入るようでした。しかし、日本とはだいぶ異なる環境がこたえ、私は風邪をひいて、熱を出してしまいました。(北京留学時代、何かというと、熱を出していました。きっと白血球が、未知のウイルスを懸命に撃退していたのでしょう。)

具合が悪いので、北京に帰りたい、とモンゴル族の青年に話しました。

留学先の大学内の病院は、ちょっと怪しいけれど、北京だったらお金さえ出せば、まともな病院で診療を受けられる、病状がこれ以上悪化する前に北京に帰ろう、と思いました。

しかし、青年は、内蒙古の病院は大丈夫、病気が治ってから北京に帰ってください、というばかりでした。しかたなく、病院へ行くことになりました。

内モンゴルの病院へ行く

病院は、町中だけれど、ちょっと歩けば、草原というところにありました。

親切なモンゴル族の青年に連れられて、病院へ行きましたが、完全にモンゴル族の世界で、誰も中国語を話していませんでした。

当然、中国語はもちろん、日本語も堪能なモンゴル族の青年に、医者とのあいだの通訳をしてもらうしかありませんでした。私は、モンゴル語は全くわからないので、かなり不安でした。

Cinggis

ところで、お医者さんは、全世界の歴史を揺るがした英雄、チンギス・カンにそっくりでした。世界にチンギス・カンの直系の子孫が1600万人いると聞いたことがありますが、

この顔に本当にそっくりだったのです。彼は間違いなく、チンギス・カンの遺伝子を引いているでしょう。

私、井上靖の小説、『蒼き狼』が好きでした。チンギス・カンの物語にわくわくしました。

でも、英雄といえど、実質、殺戮者、にそっくりな医者に診てもらうのは、抵抗がありました。

そして、私は、チンギス・カン医師の命により、肺のレントゲンを撮ることになりました。

レントゲン室だと連れていかれたところは、小学校の体育館のようなところで、患者さんが、20人くらい、床に座って列をなしていました。

体の具合の悪い中、この列を待つのか、とゲンナリしましたが、私を病院に連れてきたモンゴル族の青年が、「さあ、こちらへ」と、列を飛び越えて、レントゲン技師のもとへ案内しました。

きっと、順番を早くするために、いくらか現金を払ったのでしょうね。今、よく考えてみると、咳ひとつしていないのに、レントゲン撮るのもおかしいですよね。意味なく医療費を稼ぐため?

で、レントゲン室はどこなの?とあたりを見回すと、人々が並んでいるちょうど、先頭にレントゲン撮影の機械がありました。服も脱がず、着替えることもなく、レントゲンを撮ることになり、よかったと思ったものの、目の前に、ちょうど映画を移すような巨大なスクリーンがありました。

それに私の体が映っていました。息をするたびに、肺が動くのがよくわかります。私だけでなく、ほかの患者さんたちも、スクリーンを眺めていました。公開レントゲン撮影、というべき、ちょっとしたカルチャーショックでした。

診察が終わり、病院のトイレへ行くと、もちろん水洗ではなく、手を洗う水道もありませんでした。病院にすら、水道が設置されていないというのも、ちょっとしたカルチャーショックでした。

医者から、薬を処方されましたが、全く飲まずに、こっそり北京へ持ち帰り、後で捨てました。モンゴル族の青年よ、あんなに親切にしてくれたのに、ごめんなさーい。薬なしで、病は治ったので。

帰路、バスを長い時間かかって草原を抜けました。それから、電車に乗り、北京市に入って、電車の窓から万里の長城が見えたあたりで、ほっと一安心しました。

水をじゃぶじゃぶ使うのが、当たり前だと思っていた自分が、ちょっと申し訳なく思う旅でした。






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