秋田にも真田幸村のゆかりの地があるとは 由利本荘市 妙慶寺
2018/07/23
由利本荘市岩城亀田町にある妙慶寺へ行ってきました。妙慶寺は、真田幸村の五女であり、亀田藩主の正室であった、御田(おでん)の方が、父母の菩提を弔い、真田家再興を願って建立したものです。
寺の宝物殿には、御田の方の遺品が納められています。
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御田の方の本名は、真田直(なお)といいます。母親は、豊臣秀次の娘です。久保田(秋田)藩主、佐竹義宣の弟、佐竹宣家の側室として、迎え入れられました。
その後、佐竹宣家が亀田藩主となるに伴い、名を岩城宣隆と改名。直は正室となりました。
正室は通例、出自の家名で、呼ばれるため、直は「真田の方」と呼ばれるはずでしたが、徳川に立ち向かった真田の子孫であることを隠すため、「真田」の「田」の字をとって、「御田の方」と呼ばれたと言います。
と、以上、妙慶寺でいただいたパンフレットを参考にして、書きました。
「御田(おでん)の方」って、なんか変な名前、と思っていたので、由来がわかって、すっきり。
その場合は、山門の前に止めるか、近くの天鷺村(テーマパーク)まで行って、駐車し、歩いてくるのがお勧めです。
案内をしてくださる、お寺の奥さんは、基本、火曜日はいらっしゃらないので、注意。それと、午後4時まで受け付けだそうです。
入館料300円を払って、宝物殿に入ります。
わずか、32歳という若さで亡くなった御田の方を供養するために、夫である亀田藩主、岩城宣隆が、妙慶寺にゆかりの品々を奉納し、寺宝として守られてきました。
現代においては、宝物殿の中に、ショーケースを設置し、寺宝が痛まないように、陳列しています。
写真は、御田の方の肖像画。天鷺村にも、複写画がありましたが、こちらは本物です。
御田の方が使っている、脇掛(ひじ掛け)に注目。
あざやかな青色がすっかり色あせていますが、これを見て、御田の方は実在する人物なんだなあ、とひしひしと感じました。
こちらの棒、なんだかわかります?
実は、御田の方が愛用していた薙刀(なぎなた)の柄。
刃のほうは、戦時中、金属が不足していたため、軍に没収されたそうです。刃があったら、国宝級の宝だったと、お寺の奥さんがお話しされていました。本当に残念ですね。
(NHKの「真田丸」を見ていると、石田光成なんかがよく願掛けのために、井戸の水をかぶっていますよね。水がすごく冷たそうで、辛そうでした。)
のちに、井戸から石がすくいあげられ、こうして飾られています。井戸の底には、まだまだ石がたくさんあるそうです。いったい、どれだけ、石を投げ入れたのか。
こちらが話題の御田の方が着ていた甲冑です。
15、16歳当時に着ていたものだそうです。
六文銭がついた甲冑で、現存するものは、もうこれしかないとのこと。
紐などボロボロです。
六文銭も緑青がふいちゃっているし。
30年前に撮影した写真と比べても、だいぶ痛んでいるといますが、修繕するには500万~600万円かかるとのことです。
しかし、秋田県にはとてもそんな予算がありません。
できるだけ多くの人が、甲冑を見にきて、お金を落としていってくれないかなあ、と思いました。
宝物殿にはそのほか、狩野元信の観音像画、大阪城の地図、御田の方の弟が使っていた真剣などが、日本納められており、歴史好きの人には、見どころ満載です。
御田の方と、母の隆清院の墓碑です。
真田の血を引く人たちの遺骨が収められているお墓は、お寺の近くの山中にあるそうです。
ところで、秋田県大館市には、真田幸村のものといわれる墓があるのです。亡くなった真田幸村は影武者で、ご本人は、御田の方嫁ぎ先を頼って、秋田へ移り住んだという伝説ですが。
詳しくは大館市のウェブサイトをご覧ください。伝説とともに残る真田幸村の墓
住所: 〒018-1221 秋田県由利本荘市岩城亀田最上町字最上町104
電話:0184-72-2037
電車で来られる方は、天鷺村までの無料送迎バスを利用すると便利です。
天鷺村までのアクセスについては、こちらをご参照ください。
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