地球に暮らす日々

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中国甘粛省 者来塞村 ―青い瞳の中国人―

      2017/03/14

前回、中国甘粛省 者来塞村 ―古代ローマ人の末裔たち―に引き続き、中国語のテキスト(「成功之道 成功編1」北京語言大学出版社)から、同じテーマの文書の翻訳しました

中国甘粛省金昌市永昌県者来塞村に住む人々が、ローマ軍兵士の子孫ではないか、という謎を解明していくお話しです。シルクロード大ロマンですね。

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プロローグ


Photo credit: Allan_Grey via Visual hunt / CC BY-SA

甘粛省と言えば、誰もがすぐに、有名な敦煌の莫高窟、それに大砂漠や黄河など壮観な景色を思い描くだろう。それ以外にも、わずかな時間では、思い出せないほど、たくさんの観光名所を記憶にたどるかもしれない。

しかし、この数年、甘粛省内の人知れぬ小さな村に、観光客が苦労を厭わずぞくぞくと足を踏み入れ、学者たちがひっきりなしに訪れている。一時の期間に、この神秘の村で、考古学的発掘や学術研究が行われてきた。

奇妙な光景

者来塞を訪れると、まるで異国に身を置いている感覚に陥る。

この神秘な村は、甘粛省永昌県に位置し、地元民に「者来塞」と呼ばれている。この地は一年を通じて乾燥し、雨が少ない。深刻な砂漠化により、もともと痩せた土地が、さらに荒涼として見えるようになった。彼方を望むと、者来塞が、脈々と連なる祁連山のふもとに、横たわっているのが見える。他の中国西部の村と同じように、粘土のレンガで築かれた家々の様子が、この村の全てだ。それ以外、何も特徴を見つけることはできない。それでは、何が学者たちの目を引き付けるのか?

甘粛省リチェン文化研究院の研究員である関亨は、十数年前、者来塞を訪れたとき、この村のきわめてまれな様子に引き付けられた。者来塞の村民の大多数が、頭髪の色が褐色か金色で、瞳の色も青か灰色だったからである。一見すると目立たなかったが、よく観察すると、彼らは、黒髪に黒い瞳の漢族の人たちとは、本質的に異なっていた。


Photo credit: Jonathan Kos-Read via VisualHunt.com / CC BY-ND

者来塞の村民たちの顔だちは、中国人には見えない。よって、者来塞に来た者は、異国にいるような感覚に陥るのだ。しかしながら、村の戸籍を調べると、「戸籍地:甘粛 民族:漢族」と記録されている。これはいったいどういうことなのか。もし彼らが本当に漢族ならば、なぜ他の漢族の人々と違っているのだろうか。

蘭州大学史学部、陳正義教授は、「これは非常に奇妙な光景です。私はよく外国人のお客さんを見学に連れていくのですが、皆、不思議がります。自分たちの同胞がなぜ、甘粛までやってきたのか、と。見た目は西洋人なのに、永昌の方言を話しているのが、おかしくみえるのです。」と話した。

なぜ彼らは、他の人々と違っているのだろう、と関亨はまったく理解できなかった。だが、者来塞の特異な村民の背後には、必ずや、まだ人々が知らない、隠された秘密があるのだろうと思った。者来塞の村民の容貌の謎を解くため、彼らは者来塞において、広範囲に渡る取材と調査を行った。


Photo credit: fdecomite via Visual hunt / CC BY

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者来塞村の習慣は、漢族と同じか?

関亨および陳正義の両学者は、者来塞の調査と研究を始めた。だが、調査開始の始めのころは、者来塞の村民の外見が特殊である以外、何も特別なことは見つからなかった。この村の人々は、その地方の農民たちと同じく、わずかな畑を生計として頼り、日の出とともに耕し、日の入りとともに休んでいた。しかし、両名の学者は研究を進めるうちに、村民の生活習慣と葬儀の形式が、漢族とは異なることを発見した。

調査の中で、村人が作る蒸しパンが、関亨と陳正義の興味を引いた。村人は蒸しパンを作るときに、棗を蒸しパンの上に置いてつまみ牛の鼻の形を作る。村人はそれを「牛の鼻」と呼んでいた。関亨と陳正義が意外に思ったのは、村人はそれを食べるために作るのではなく、祖先を祭るために特別に作ることだった。

村民はなぜ「牛の鼻」の形をした蒸しパンを作り、祖先を祭るのだろうか。関亨と陳正義は、首をかしげた。さらによくわからないのは、村人が牛に関する遊びを好むことだった。

関亨は、村人たちの間で、正月に牛を屠ることや、牛同士を戦わせたり、闘牛をしたりなどの習慣が、ずっと昔から今まで続いていると、言う。


Photo credit: orangeaurochs via VisualHunt.com / CC BY

関亨と陳正義は、者来塞の村民が牛に対して特別な感情を抱いていることに注目した。それ以外にも、者来塞の村民が、普通とは異なる埋葬の仕方をすることに気づいた。彼らはどこに埋葬しようと、地形に関係なく、一律に遺体の頭を西に向けて埋葬するのである。

陳正義は、彼らが頭を西に向けて埋葬するのは、漢族が頭を北あるいは南に向けて埋葬するのと、明らかに異なる、と主張した。

関亨は、者来塞の村民が、牛の鼻の形をした蒸しパンを作り、闘牛を好むのは、牛に対する崇拝の現れである、と主張した。

関亨と陳正義の調査では、これらの習慣は、甘粛省とその周辺地域の他の村々では、全く見られない。そこから、者来塞の村民の習慣は、外部から来た文化と関連する可能性がある。では、この村の人々は、どこから移り住んだのだろうか。

者来塞の村民は、どこから移り住んだのか?

専門家たちがこれらの推測を巡らしている間、者来塞の付近で、漢代の墓が大量に発見された。この発見は、関亨と陳正義が、者来塞の村民のルーツの謎を解き明かす鍵となった。

専門家は、墓の形と構造から、それは前漢時代のものだと言った。また、これら発掘された前漢時代の墓には、共通の特徴があることがわかった。また、埋葬されていたのは男性だけということから、軍隊と関係があるのだろう。遺体の骨格は、比較的大きく、古代中国人の骨格ではないようだった。

驚くべきことに、これら99の墓は、すべて頭を西に向けて埋葬されていた。者来塞の埋葬習慣と完全に一致する。つまり、者来塞村民の特徴ある外見と、民族習慣は、これらの墓と密接な関係を持つということだ。そして、この墓で眠っている人々は、何者なのだろうか。

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 - カテゴリー: 中華圏と中国語