地球に暮らす日々

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北京留学時代 謎のトルコ人にプロポーズされる

      2016/08/29

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今でも、なんだかよくわからない、北京留学中の出来事です。当時、私は、北京語言学院(現在の北京語言大学)で中国語を勉強していました。

この大学は、国際色豊かで、世界中から中国語を学びにくる留学生がいました。

ハナコを探すトルコ人

2年生になった私が、ある日、いつものように、寮で宿題と予習に追われていると、寮の管理人に「客が来ている」と呼び出されました。

誰だろうと、出ていくと、見知らぬ男女がいました。男性のほうは、トルコ人、女性のほうは、フランス人と言いました。

「ハナコ(仮名)さんですね。」とフランス人女性が私に確認しました。「ええ、そうですが。」と答えました。そばにいるトルコ人男性が、ハナコという名の日本人女性を探している、ということです。フランス人女性は、ここの大学の留学生で、トルコ人男性は友達だと言っていました。

「すみません。人違いです。」と私は言い放ち、部屋に帰ろうとしました。すると、フランス人が、悲壮な声で「じゃあ、ほかに、ハナコという名前の日本人を知らない?彼にとっては、重要なことなのよ。」と叫んだので、立ち止まりました。

ちなみに、3人の会話は、中国語でなされました。

いっしょにハナコを探してあげる

当時、今と違って、携帯電話など普及していなかったし、大学の各寮の部屋には電話がついていなかったのです。学内で引っ越しをして、友人の連絡先がわからなくなるのは、よくあることでした。

今から思えば、「ハナコを探すことが、彼にとって、なぜ重要なのか」、まずはしっかりと聞くべきでした。しかし、あの頃は若く、物事を深く考えませんでした。それに、とっとと話をつけて、明日の予習をしたかったから。「あ、わかった。明日学校の事務所に聞いてみるね」と、トルコ人と翌日の待ち合わせの時間を決めたのでした。

翌日、大学の事務所で、日本人留学生事務処理担当の人に、聞いてみましたが、私以外にハナコという人がいない、とわかったので、トルコ人氏に伝えました。ああ、これで仕事は片付いた、思いきや。

「ぜひ、探してくれたお礼に、食事をおごらせてください。お礼をしないことは、私の国では大変な非礼にあたるのです。」と、トルコ人が頼むので、断るのも面倒くさく、今日の夕食を共にすることを約束したのでした。

ここで、トルコ人氏の仮名を、イブラハムとしましょう。

イブラハム氏はイスラム教徒

その日の夕方、約束の時間に、イブラム氏は、寮に私を迎えにきました。大学の周りは、 留学生向けに、安くておいしいレストランがたくさんありました。

そのうちの、一つ、お気に入りのレストランを、イブラハム氏にリクエストすると、イブラハム氏、いわく、

私は、イスラム教徒なので、豚肉は食べられません。

と。

ああ、そうでしたか、すみません、と、次にイスラム教徒向けのレストランをリクエストすると、イブラム氏、いわく、

天安門の近くに、いいレストランがあるんですよ。そこへ行きましょう。

その瞬間、私は、イスラムモスク調のしゃれたインテリアのレストランと、エキゾチックなトルコ音楽、羊のシシカバブや野菜入りピラフなどの料理を想像して、心を躍らせました。

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そして、イブラハム氏とタクシー(と、いっても、ボロい、安タクシー)に乗って、学校から10km離れた、天安門広場へ向かいました。

さあ、着いたよと、着いた先は、

王府井にあるマクドナルドでした!

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そうですね。豚は使用していません。ビッグマックは、ビーフ100%です。

「ハナコさん、どうですか。ここのビックマックは、特別においしいんですよ。」 と、イブラハム氏。
「はあ、そうですね。」 と、私。

早く食べ終わって、早く帰りたいわあ、と急いでハンバーガーを平らげました。

「あ、ハナコさん、もう一ついかがですか。」
「けっこうです。」

次にイブラハム氏の希望で、天安門広場を散歩することになりました。

イブラハム氏の不可解な野望

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なんとなく、イブラハム氏を見ていて、嫌な予感がしてきましたが、

「ハナコさん、ご家族は日本ですか。」

と、個人的なことを聞いてきました。

私は速攻で、「ええ、そして、幼いころに親が決めた婚約者がいて、来年結婚するんです。彼は、いま、北京に駐在しているんですよ。」

と答えました。どうだ、ざまあみろ、これで予防線を張ったと、得意げでした。
イスラム教では、4人まで妻を持てるせいか、気軽にお付き合いを申し込んでくる人が多いのです。それで、常に架空の婚約者のストーリーを作って、備えていました。

イブラハム氏は、少しの間、うつむいていましたが、やがて口を開きました。

「ハナコさん、私と結婚してください。

「は?どうしてですか。」
と、もう、イブラハム氏の発言に驚かず、質問しました。

「私は、日本へ行って、アラブの音楽を広めたいので、日本人と結婚したいのです。あなたは、中国語ができるから、私と言葉が通じるからいい。」

「いや、でも、私は、婚約者がいますから、できません。」

断っても、何度も同じ話を繰り返す、イブラハム氏。私は、彼の奇怪な発想にうんざりしながら、しつこいプロポーズを断り続け、天安門広場をぐるぐると回っていました。

何度か、断った後、イブラハム氏は、とうとうあきらめたようで、言いました。

「あなたが私と結婚してくれないことはわかりました。では、ほかに私と結婚してくれる、日本人女性を紹介してください。

別に私のことが好き、というわけでは、なかったようです。そのほうが、嬉しいですが。もちろん、私は、誰も紹介できないと答えました。

世の中には、私の常識から並外れた発想をする人がいる、と思い知った出来事でした。

しかし、このことを思い返すと、寮にイブラハム氏といっしょに尋ねてきた、フランス女は、なんだったのでしょう?彼女が、頼んでこなければ、初めからイブラハム氏にかかわることがなかったのですが?

そして、イブラハム氏が探していた、本物のハナコさんは、果たしてどこにいたのでしょうか。なぜ、イブラハム氏に聞かなかったのだろうと、後悔しています。






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